北会津村誌 -177/534page

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中荒井村旧郷頭宅ののりこみのある家造り(42.1.8 小森健次宅)
中荒井村旧郷頭宅ののりこみのある家造り(42.1.8 小森健次宅)

特性は失われていない。昭和三十八年より始められた農業構造改善事業は、この中荒井村付近より手始められ、 部落周辺の区画整理事業は、既に殆ど成らんとしているが、基盤にこの氾濫原の中州である砂礫層が横たわっ ていて、土地の成因を物語っている。

 2、部落の発達 現在中荒井村には村役場が建ち、綜合中学校ができて、その他の農業改善事業の諸機関の施 設と共に、あわただしく、北会津村の政治・経済・教育万端の中心地たらんとしているかにみえる。しかし、こ れは偶然に今に至ってそうなったのではない。明治中頃から、東西に主要交通路の走る下荒井村に、旧荒井村・ 館の内村の中心地があったために、現在しか知らない人々はそう思いこ み易いのに過ぎない。

 古くは大沼郡中荒井組、その後会津郡、明治になって北会津郡と変っ たが、北会津村の大半は旧中荒井組で、その中心地は中荒井村であっ た。

 近世松平藩になって村長事務、現在では部落長とか区長に相当するも のであるが、それを世襲的に代々司っていた役職を肝煎というが、これ は現在も続く千葉宅であった。この肝煎の中荒井組内をまとめて、郷頭 という役職を置いたことがある。現在の北会津村長という役職程度の世 襲的家柄である。これが中荒井村にあった。現在の小森健次宅である。 役宅のため乗込みと呼ぶ、籠の横づけできる玄関がついていた。今もそ れを補修して、立派な乗込みがついているのはその名残である。  


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