北会津村誌 -187/534page
当村より十二人に定御普請始より出方判す。五、六十日の内に番にしては梁へ詰、枯落葉、塵芥流掛、掃除す、名てあこと云、梁とは本河より河幅五、六間に新河を掘下より、拾五、六間上に滝おとしてふけを長さ二尺余に伐、軒のごとくに出す。あきと云、どう木尾上りに引上を、上をふけにて乱間のごとくに結、其上に亦竹簀を敷、此番人おあこ出す、七月中より鮎落る。是はあこに被下亦此川に留有、本河へ打、是に総て下る鮎は梁へ廻る。又洪水の節御梁の水を除く為也、上る鱒鮭取、御台所へも上る。余分はあこ費補の為被下、留とは乱杭を打て細木を横たえ、上より分け、簀を立て、留下に方壱間の柵をかき、猟師此に上て四手網を下し、上り魚を取る、又流網を引、下網にても取、此用材人足御梁のごとし、此殺生御制禁は御梁より上は限り有て、年々御公儀より御触有、下はあこ費補の為、被下置罷上り、魚妨の殺生政道す。
当村にて大川舟を渡す、舟賃として、金二両米銭ニメ六百匁取、舟下より外舟賃四文、洪水の節八文取立帰し者、帰舟より賃不取新舟始祭の時、始而乗る者有時は、銭壱メ五百匁、三百匁も出し、祭日にては菩堤の為と云、橋下江二日町、東麻生、今泉寺堀、鷺林、宮袋、下米塚、同新田、寒川、境野、寺崎、雀林、下八木沢、メ拾三ヶ村より舟賃弐両四朱二匁六百文、又冬橋を掛橋下の郷二日町、東麻生、今泉、寺堀、鷺林、宮袋、同新田、十二所、本多、寒河、境野、寺崎、八木沢、雀林、下米丘新田メ十六ヶ村、橋懸入用、右之村より出舟橋三十八、九年以前迄二日町に而渡す。
舟渡損て二、三年相止、其頃当所にて菜園に障り成故、ゆくり舟を調べ渡す、夫を例としても今当村に而渡す、舟破損の節御公儀より金子二百両相借而相舟を調儀す。此金舟下より出す。
家職げんべい縄莚。
畑作牛蒡菜大根漬瓜熟瓜芋。
組中籾御蔵有、此御蔵倒地高三斗四升六合御免也。
米御蔵有、二日町、東麻生、今泉、寺堀、鷺林、宮袋、同新田、十二所新田、本多、当村共に十ヶ村納、御蔵右村の高合四千拾五石余、御蔵郷頭屋敷之内故御年貢不弁。