北会津村誌 -188/534page

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 御蔵番壱人籾御蔵米御蔵之給米七石四斗、大工弐人有。
文化六年新編会津風土記写し
 中荒井村
 府城の西に当り、行程一里六町、家数五十一軒、東西三町六間、南北三町二十四間、四方田圃なり。東二町四十二間、二日町村の界に至る、其村まで四町、西五町四十間今和泉村の界に至る。其村まで六町、南六町六間、本郡橋爪組柏原村の界に至る。其村は未に当り十二町余、北三町、下荒井村の界に至る。其村は亥に当り十町、又丑の方四町三十八間、蟹川村の界に至る。其村まで九町、辰の方七町、本郡橋爪組下米塚の界に至る。其村まで十一町余、未の方六町、東麻生村の界に至る。其村まで七町
 ○水利 思鑿堰 下米塚村の方より来り、田地の養水とし、下荒井村の方に注ぐ。
 ○郡署 郡役所 村東にあり、郡奉行を置き、民事を統制せしむ。南青木組飯寺村、高久組高久村、河沼郡坂下組坂下村、大沼郡高田村の代官これに隷す。
 ○倉廩 米倉二屋 村中にあり、一屋は社倉なり、一屋は本組の米を納む。
 ○神社 諏訪神社 境内東西二十一間、南北四十七間、免除地、村より二町未の方にあり、勧請の時代を知らず、鳥居拝殿あり、下荒井村坂内備前が司なり。相殿十一座、白幡八幡宮、本村より移せり。熊野宮、同上。羽黒神同上。六所神、同上。感応神、同上。伊勢宮、二日町村より移せり。雀神、同上。稲荷神四社、三座は本村より移し、一座は二日町より移せり。
 ○寺院 千葉寺 境内東西二十六間、南北三十五間半、年貢地。村中にあり、求法山と号す。真言宗山城国醍醐三宝院の末寺なり。何れの頃にか千葉某此地に来り、当寺を建立し、隆誉と云僧を開山とし、天文中宥澄と云僧再興せしと云。本尊大日客殿に安ず。
 観音堂 境内にあり。
 ○古蹟 御膳河原 村より三町三十間余、未の方にあり。昔は大なる河原なりしに、鶴沼川の水道変じて、後田圃を開き、今

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