北会津村誌 -193/534page
二日町で花火をあげた大筒 人の居た場所というだけで詳細は不明である。
3、白山神社の由来と花火 村東に鎮守の白山神社がある。寛文五年の書上げをみると、堂社の項に大神宮、すずめの明神、観音、稲荷とあって白山神社の名はみえない。貞享二年(一六八五)の書上げにはその由来を記して「鎮守雀明神中荒井へ引宮に被仰付、祭礼七月廿七日下荒井社家祭」とある。現在の白山神社は慶応四年(一八六八)即ち明治元年に当る年の二月、水禦白山神社として勧遷したという棟札がある。これには「祭主滝本院、善常法師」とある。滝本院は真渡であるから、管理が下荒井よりそこに移ったいきさつもあることになる。寛文・延宝の頃会津藩では神社の統合、寄せ宮を行なったから、その際中荒井の諏訪神社に合祀されたことがある。しかし宮跡にはなお、白山宮の小祠のあったことが、弘化四年(一八四七)の書上げに「三間に七間、雀宮の敷地に当る」とあるから、現在の白山神社の敷地が、旧白山神社の境内であったと思われる。白山神社は石川県の白山神社の系統で、裏
二日町白山神社に保存してある花火あげの筒