北会津村誌 -214/534page
一、鎮守 宮袋村若宮八幡、祭礼九月九日下売井村より社家来祭。
一、菩提所 宮袋村真言宗本休寺、高二斗一升御年貢村中にて附。
一、逆瀬川村へ上米二斗宛年々出かくまを取。
一、軽井沢へ相場米馬壱疋に壱斗、同村端郷市野村へ同三升宛年々出、葉柴かくまを取、馬数年々増減有故米之員数難記。
一、中荒井村へ冬橋掛入用出大川橋を渡る。
一、蟹川村へ代百文出す川舟橋渡。
一、家職、縄筵少、草鞋げんべい、田畑稼の間に仕出。
文化六年の新編会津風土記より
宮袋新田村
此村は寛永元年(一六二四)宮袋村の境内にて新墾せし処と云。府城の西に当り行程一里三十町、五区に分る。南の一区家数三軒、東西十五間、南北四十八間。其西二十間余に一区あり、家数四軒、東西二十間、南北四十八間。其北二町四十間余に一区あり家数二軒、東西十九間、南北十八間。其東一町三十間に一区あり。家数二軒、東西三十五間、南北十五間。此より十間余丑の方に一区あり。家数三軒、東西二十間、南北二十五間、共に西南は宮川に傍い、東北は田圃なり。東三十九間、北二十七間、共に十二所新田村に至る。其村は丑に当り七町、西三十間、南二町十四間。共に大沼郡高田組境野村に界う。
○山川 宮川 村西にあり、宮袋村の境内より来り、西に流れ、北に転じ、十二町余流れ、十二所新田村の境内に入る。
○褒善 忠義者治助 寛政二年(一七九〇)褒賞して米を与えり。
寺堀村
1、湿原と毘沙門天 村の西縁に旧鶴沼川が北会津村を対角線状に放流した跡が、俗にかまぬまと呼ばれる湿