北会津村誌 -220/534page

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一、家職、莚、縄、田畑稼の間に出す。
一、畑作、瓜、茄子、辛、青大豆商売而御年貢足にす。
文化六年風土記より
 寺堀村
 府城の西に当り行程一里十七町、家数十八軒、東西一町四十七間、南北二町五十四間、四方田圃なり、東一町今和泉村の界に至る 其村は丑に当り三町、西一町、宮袋村の界に至る。其村は申に当り七町三十間余、南五町五十八間、本郡橋爪組西麻生村の界に至る。其村まで七町四十間余、北二町三十九間、鷺林村の界に至る。其村は亥に当り三町余、もとは村の辰巳の方四町に新田と云端村あり。今は廃す
 ○神社 富士神社 境内東西二十間、南北二十四間、免除地、村中にあり、勧請の年代詳ならず。鳥居あり、下荒井村坂内備前是を司る。相殿二座 稲荷神 本村より移しき。雷神 同上。
 ○寺院 多門院 境内十二間四方、年貢地、村中にあり。雷電山と号す、下荒井村薄華寺の末寺、真言宗なり、草創の年月詳ならず。何れの頃にか本行と云僧、旧宇を中興し、承応二年(一六五三)円説と云僧再興せしと云、本尊地蔵、客殿に安ず。
 毘沙門堂 境内にあり、毘沙門木像長四尺、相伝て本行一日の垢離の為に、村南の深淵(今其跡僅に残れり)に至りしに、此像水底より浮び出づ。木行心肝に銘じ、担い帰りて安置せしと云。

 七、今和泉村
1、長泉寺と白山神社の由来 東麻生から今和泉・下荒井の中央に、やや高い、古くからの中州の地形がみられる。ここに古くから人々が住みついたことは、今和泉南の弥生時代の遺跡地がみられ、村北にも館跡があったことなどでわかる。村の中央の高雄山長泉寺も、その一連の中州にでき、ここに村づくりされたとみられる。そ

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