北会津村誌 -221/534page
和泉中央、長泉寺跡広場と供養碑 の中州の西北縁に湧水地帯があり、蓼川の水源の鷺林の北の百騎沼につづく大湿地になる。
文化六年の新編風土記には、今和泉の地名起原と長泉寺の由来について、相当適確に書いている。古くは単に泉といった。昔この清水で酒をつくったとある。頭無清水と呼んでいたのが、それであるらしい。扇状地の中州の外縁から、どこからともなく清水が湧き出るのでそのような名称になるらしいが、そのような例では、他でも多く見受けられる。泉村というのが、あまり遠くない北の部落にもあるので、今和泉と名付けたとあるが、村の起源が新しい意味ではないらしい。長泉寺もこの泉と関聯して慶長五年(一六〇〇)宥俊が名づけたという。寺ははるかに古く天正十九年(一五九一)僧豪円の草創とある。天台の僧とあるから、これも修験の住んだものではないかと思う。現在祭ってあるのは、御丈四一セソチの地蔵尊と、傍におぼたき観音と呼ぶ子安観音が安置してある。
村の鎮守白山神社も、白山清水の白山
今和泉高尾山長泉寺の腰をまげた合掌像