北会津村誌 -238/534page
一、かに川へ代三百匁宛年々出、大川船橋を渡る
一、御鳥見人高拾二石八斗足役斗引。
一、家幟、莚、太縄、草鞋、田畑稼の間に仕出す。
文化六年風土記より
本多村 端村 新田
府城の西に当り行程二里、家数十八軒、東西一町二十七間、南北一町二十間、未申の方十二所新田村に続く。又丑寅の方五十間田圃に一区あり、家数十軒、東西一町五十間、南北四十一間、共に四方田圃なり。東一町四十六間、下荒井村の界に至る。其村まで十町三十間、西一町二十六間、十二所新田村に界う、南二十一間、鷲林村の界に至る。其村まで七町三十間余。
○端村 新田 本村の北二町十間にあり。家数十軒、東西二十八間、南北一町十六間、四方田圃なり。もとは本村の戌亥の方三町三十間余、宮川の辺にあり。寛政二年(一七九〇)水災を避て此に移れり。
○山川 宮川、端村新田より六町十間余、西にあり。十二所新田村の境内より来り、此に流れ、東に転じ、六町四十間流れ、宮下村の境内に入る。
蓼川、村東二町五十間余にあり。鷺林村の界より来り九町余北に流れ、荒田村の界に入る。
清水、村東三町余にあり。広四間、長さ六町五十間余、北に流れ、荒田村の界に入り、田地の養水となる。
○神社 天満宮、境内東西二十二間、南北十七間免除地、村の丑の方二町三十間余にあり。昔一盃館ありし跡なりと云。(鷺林村の條下と併見るべし)鎮座年代詳ならず。鳥居、弊殿、拝殿あり。下荒井村坂内備前これを司る。相殿一座、十二所権現、十二所新田村より移せり。
○寺院 本泉寺境内東西十三間、南北二十間、年貢地、村中にあり。出井山と号す。下荒井村蓮華寺の末寺、真言宗なり。慶長十六年(一六一一)行運と云僧草創せしと云。本尊不動客殿に安ず。