北会津村誌 -252/534page
大工太郎兵ヱ入道沙弥祐勝 彦太郎 兵ヱ四郎
裏
梵字 会津西十二村内下荒田百姓同心造之
同
表
富田美作守藤原滋実 花押
願者
梵字 満字 奉修理八幡宮御社一宇
日出山豊後守平顕實 花押
大工井上内匠助平宗儀
裏
天文廿四年(一五五五)乙卯九月甘九日
奥州会津西十二村之内下荒田
相殿九座 伊勢宮二座、一座は出尻村より移し、一座は和泉村より移せり。若宮八幡、出尻村より移せり。稲荷神、同上、婆神同上、熊野宮、和泉村より移せり。諏訪神、同上、明神、同上、稲荷神、本村より移せり。神職渡辺出羽、寛文中(一六六〜一六七二)勝太夫久安神職と成てより、今の出羽久明まで五世なりと云。
一二、荒田村
1、館跡と上荒田村由来 蓼川、百騎沼の大湧水地帯を隔てて、その東部に、中荒井・下荒井より平田・荒田