北会津村誌 -259/534page
下荒井宝寿院西に残る旧城郭の土堤跡 城の土堤及び堀跡がみられた。寛文五年(一六六五)の書上げに、「昔葦名の家臣富田某此を守と云、未だ其始を不詳、人口にまかせて此を書す」として、広さを示し、堀の大半が既に田圃になっていると書いてある。しかし校庭の敷地拡張の昭和九年頃までは土堤や堀の面影がいくらか残り、檸の大木などもあった。
この築城並びに廃墟になった経過の詳細は北会津村発達の大筋にも通じるので、別項で既述したが、ここに築城した葦名の臣富田将監とは、安積郡富田村山の井荘の城主で、嘉暦二年(一三二七)葦名盛宗より、この荒井の郷を賜り、元徳元年(一三二九)さらに大沼郡西十二カ村を賜り下荒井に築城したということになっ
下荒井古城跡復元図