北会津村誌 -262/534page

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下荒井、蓮華寺の山門
下荒井、蓮華寺の山門

下荒井、蓮華寺跡の礎石
下荒井、蓮華寺跡の礎石

九二〜一五九五)十三世の宥明が蒲生氏郷の命によって、飯豊山を中興その別当をした際、寺院を下荒井の現在の観音堂わきに移し、再興したものと思われる。
 実はこの観音堂も村北にあって別当を妙法寺といい、寛永中(一六二四〜一六四二)にここに移したとあるから、蓮華寺がここに移ってきてから、後にその境内に観音堂が移ったことになる。この観音堂の鰐口に元弘三年(一三三三)とあり、その頃の南北朝の様子も新編会津風土記に詳しいから再録は略しておく。下荒井築城の数年後であるから、関連した寺院と思われる。
 観音堂には御丈八三・五セソチの聖観世音が祭られ、会津三十三番巡礼の十四番にあたり、次の御詠歌がある
  たかの山よそにあらしの下荒井
     さんごの松ののりのあさかぜ
「奉建立観音堂一宇」という棟札があり、寛政元年己酉(一七八九)七月初八日、当時二十六世住持英典とみ

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