北会津村誌 -263/534page
下荒井蓮華寺西後の五輪の古塔 えるから、あまり古いものではない。堂の西田圃の中に三基の五輪塔と二基の石碑が残っており、延宝八年(一六八○)のものが最も古く、観音堂がここに移ったという寛永中とはあまり離れていない。大五輪には天和三年(一六八三)五月十七日とあり、他には元禄十年(一六九七)、新しいのは天保四年(一八三三)で下荒井村の発達というより観音堂がここに移ってからのもののようである。
この蓮華寺は明治十七年八月三十日、当時小学校と戸長役場に使っていて火災にあい、廃寺となり、礎石のいくつかを止め、その面影の一部をかぶき造りの山門に残している。
富田氏の城跡が既に興亡を物語るように、寺院の興亡もはげしく、村の形態さえも、交通路の変遷によって向きと共に変っている。
旧城廓の東に五重塔跡というのがある。このことも新編会津風土記に載っているが、それ以上の詳しいことはわからない。現在約七〇メートル四方の輪廓の西北隅などに土堤の痕跡がみえるのみである。
下荒井、旧五重塔跡の土堤