北会津村誌 -264/534page
宝寿院の本尊地蔵菩薩(鈴木真言撮影) 宝寿院の由来は新編風土記にあるように、もと蓮華寺の末寺で、その院内にあって、六坊の一であったものが、伊達来襲の兵火によって現在の位置に移り今に至っている。寛政五年(一七九三)宝寿院の僧が、白山清水辺に開墾して宝寿という部落をつくったことなども風土記にみえ、位置は変っても蓮華寺を引きつぐものとして連綿とつづいている。
やはり蓮華寺の末寺に覚蔵院のあったことが風土記にみえる。明治になってから廃寺になり、その塔頭の跡に五輪塔と、宝暦三年(一七五三)常覚法師と書いた石碑などが残っている。本尊は地蔵尊で御丈六一セソチ、現在旧家の荒井銀之助宅に祭ってある。
下荒井より白山へ通じる道路の中頃西側に、俗に大木の河原と呼
下荒井西の旧覚院蔵廃寺跡の五輪