北会津村誌 -265/534page

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下荒井廃寺覚蔵院の地蔵尊
下荒井廃寺覚蔵院の地蔵尊

んできた、忠魂碑が三基建っている、河原跡の広場がある。ここに、もと日什上人が永徳六年(一三八一)に開いた芝原山妙福寺があったという。これは後に城下黒川に妙塔山妙法寺が建立されたので廃されたと伝えている。
 もう一つ、旧蓮華寺跡に、ささやかな飯豊山神社が基壇の上に建っていて名残を止めるに過ぎないが、会津地方一円、その他の隣接の諸地方からも、「十三お山はかるい」などといわれて、男の成年式のようにも思われていた、飯豊山神社の別当が、実はここの蓮華寺であったことがある、ということである。飯豊山の信仰は遥かに古いものと思われるが、下荒井に飯豊権現を草創したのは、築城間もない正慶二年(一三三三)、次いで仁範が蓮華寺を起した時、この飯豊権現を再興したとある。
 蒲生氏郷が来封した文禄中(一五九二〜一五九五)蓮華寺十三世宥明に命じて、飯豊山の参道を補修させ、文禄四年(一五九五)竣工し、ここを別当寺とした。蒲生秀行はさらに耶麻郡一の戸村で五十石の知行を与えたと次のような文書がみえる。
  寄進状
 会津於分領御知行五拾石奉寄進侯全可社務者也
  慶長六年(一六〇一)十月十八日 秀行(花押)
   飯豊山別当坊

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