北会津村誌 -272/534page

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の形態のみが、昔の名残を止めているに過ぎない。
 古い村の外輪は広かつたが、小出・川崎方面は既に早く独立し、現在端村として平田屋敷をもっている。寛文五年で四戸、新編風土記で五戸とある。ここに延命地蔵尊が祭ってある。御丈二九セソチのよい御影である。これ等の位置が古い村の輪廓を物語っているかにみえる。
付 寛文五年書上げ
 下荒井村
一、馬次若松より西北行程九里に有、東西四町二間、南北二十五間、家居町並にして長し、若松より軽井沢銀山往還の海道也、村建始の年号並名下荒井村由来不詳。
一、家九十一軒、竈百十八、男二百七十三人、女二百二十三人、馬三十二疋、年々増減有。
一、端村平田屋敷本村の西北五町二十八間にあり、方三十五間。
一、家四軒、竈四、男十九人、女十四人、馬疋年々増減有。
一、田五十九町九反一一畝十五歩、内六町一反土色黒真土、二十八町九反十歩土色白真土、二十四町九反一畝五歩半、土色白くて砂交。
一、土色並して白し、但一分黒九分白、十町一反中ノ上、七町中の中、七町九反十歩中の下、十二町八反九畝五歩半下の上、十町下の中、十二町二畝下の下、土の位並して下の上。
一、畠四十三町九畝八歩、内二町二反土色黒真土、二十六町九反九畝八歩土色白くて砂交、土色並して白し、但し一分黒九分白、三町五畝上の下、二町二反中の上、十町九反一畝八歩中の下、十三町下の上、十三町九反三畝下の下、土の位並して中の下。
一、早稲少、中稲、晩稲多、糯稲宜、大麦、小麦、蕎麦、稗、大豆、小豆、大角豆、麻、菜宜、大根、午蒡、芋。
一、高千拾一石九斗七升八合、内本田九百九十石四斗六升七合、新田二十一石五斗一升一合、此取五百五十七石九斗四升八合、免

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