北会津村誌 -274/534page
一、上河原 村の東南二町五十四間にあり、南北四十八間、東西二十四間、草を取に便よし。
一、狐河原 村の西北一町二十七間に有、方三十間、草を刈に便よし。
右の原に薬草有、車前草、羊附来、香需、抱杞、五加、忍冬、麦門冬、免糸子、活蓬、牛膝、茜根、柴胡、天門冬、苦参。
井出川
一、清水 村の北一町二十八間にあり、幅八間、北へ流て中里村・石原村を経て用水となる、二箇村を過、滝川に入て鈴淵村の西を流る、小鮠、とぎ魚あり。
古城跡
一、村の北に城跡有、本丸方二十八間、東北西に土手を築く、堀水帯の如くにして土手の腰を廻る、又東北西に二の丸有、其城形凸の字の如し、東西二町十八間、南北五十九間、堀水も亦三方を周りて、本丸其中に有、北方に亦出丸あり、東西四十八間、南北十九間、是三の丸なり、又三方に堀あり、今過半田となる。南方に追手の口有、其口の側敗壌して民屋となる。昔葦名の家臣富田某此を守と云、未た其始を不詳、人口にまかせて此を書す。
一、村の東北二町三十六間畠の中に狐穴あり、年により子を産む。
一、米二斗五升七合を出し、逆瀬川山に入る、薪を伐る。
貞享二年書上げ
会津郡下荒井 端郷平田屋敷五丁廿八間、隔村の北に有。
一、若松より田舎道九里あり、村居町並に南東西に長く、軽井沢銀山往来の馬次。
一、御高札三枚、駄賃御札共に御建被遊、若松より当村迄駄賃に六十壱匁、荷なし四拾壱匁、当村より逆願川村上八里四丁拾間、駄賃銭壱駄四十八匁、荷なし廿八匁に、廿四年以前寅年御定。
一、鎮守熊野祭礼九月九日、当村社家作太夫祭、氏子参而遊。