北会津村誌 -281/534page

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小出の富士神社
小出の富士神社

をさけて小出のしかも村西に墓地もろとも移ったので、現在はむしろ小 出が親村のようにさえみえる。実はこのような河道の変遷と河原の開墾 があって、村も移り、現在の位置に住みついたという、いきさつがある。
 現在の富士神社はもとは富士権現で、やはり修験が祭っていたと思わ れるが、当時の藩の政策もあったからではあるが、富士権現自身が水災 を避けて現位置に移ったように、付近からの寄せ宮も随分と多い。貞享 二年の書上げによると相殿になっているもので、稲荷三社、伊勢、山王 御嶽、熊野は蟹川より、磐梯明神は礫宮村より、鬼渡神社は川崎より引 宮したとある。現在は一部が原位置に小向を建てて戻っているのもある が、境内にはなお、寄せ宮が多くたち並んでいる。
 菩提所の荒伝山宝光院も、明応四年(一四九五)宝泉の開基とあり、 決して新しいものではないが、下荒井村蓮華寺の末寺で、蓮華寺が下荒 井に移ってから後に現在の位置に移されたものかと思われる。
 記録には本尊が地蔵尊のようにみえるが、現在はその地蔵尊二体はわきに寄って、中央には御丈七五センチの 大日如来が安置してある。不動尊、十一面観音、赤鬼、青鬼の供養像、聖徳太子、聖観音など、村の移動もあり 家の興亡も激しかったためか、廃家の残したらしい仏体が目立っている。この中でも聖観音は御丈五四センチ の秘仏、赤鬼、青鬼の来由はわからないが、丈は三二センチに二八センチあって異様に仏壇にかざられてい


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