北会津村誌 -282/534page
る。この寺には応挙筆と伝えるゆうれいの見事な掛軸なども蔵してある。
この宝光院境内の西南隅に目通り三・九二メートルもあるもみの御神 木ともみられる古木があり、小塚が築かれ、上に明応元年(一四九二) の荒井入道稲葉神と伝える塔が建てられてある。富田淡路守頗祐の次男 富田左享亮祐道が討死、嫡男荒井因幡守が亡父のため、この小出の地に 一寺を建立して、入道、宝光院境内に埋むといわれて、荒井因幡守通信 の為の施餓鬼供養が、昭和十六年四月十二日、下荒井の旧肝煎、荒井幸 三、同鐐之進親子によって行なわれたことがある。この御神木にのろい 針などがみえるのは古い迷信の名残を窺わせる。
現在の宝光院は弘 化三年(一八四六) 再建されたものであ るが、富士神社に寄 せ宮が多いのと似て、安永・寛政・文化・文政頃の巳待供養 塔、廿三夜供養塔などが、境内にたくさんたっている。2、蟹川渡し 上流の馬越辺から峡谷を離れた大川は、大 きな扇状地をつくって放流するが、大川に流路を固定させた