北会津村誌 -283/534page
小出宝光院傍にある下荒井の旧肝煎荒井象の供養碑と もみの御神木(これにのろい釘が打ってある)のは、開拓を進めた沿岸の人々である。しかし荒れ川をとり静めること は容易でない。二日町辺から真宮村辺の東部で川幅が最も広く、五〇〇 〜六〇〇メートルにも達する。その大半ほ平常ほ河原で、中の流れの幾 筋かを渡ればよいし、大雨があれば、たちどころに河原を濁流が押し埋 めてくるから、古くから舟の渡し場で通っていた。
貞享二年の書上げには、打舟二つ結合して一般で往 来し、その舟の破損した時舟賃その他のことが詳細に のせてある。重複をさけて詳細には述べないが、その ための各部落の負担額があった。輪中・中州に住む村 々の最も緊要な条件であったことは勿論である。橋の架せられた経 過は他の項で詳述する。3、大川の漁業 寛文五年の書上げに、四月中旬から鱒がのぼる ので、網やとめをつくり、この網にも四手綱、流網、いくり船でさ