北会津村誌 -294/534page

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真渡の西光寺
真渡の西光寺

を鶴沼川と呼んでいる。村西の思い掘堰の通る筋も中荒井・下荒井などの村東の低地を結ぶ一筋で、恐らく旧鶴沼川の河跡であろう。その中州にできた村で、田村山古墳の時代想定から、既にその頃村ができていたと考えても無理はないが、附近の他の村の館が大体葦名の臣で、鎌倉末期から室町期の居館と考えられることから、やはり縁起伝承としておくほうがよいようである。
 鬼渡神社の矢三郎に至っては、伝説である。恐らく東北に広く歌われる「弥三郎やーい」など弥三郎と関聯があるかと思うし、鬼渡りは今風邪の神として、かざびち、即ち風ひきの祭を蟹川・川崎などで行なっているが、ねわたり神社に卵をあげる風習はここにもあり、にわとり神社とも通じる。これは広く渡し場などに祭られているので、荷渡り、即ち渡し場の守護神から、音が変って、にわたり、にわとり、鬼渡りなどになっている、古くからの民間信仰の一つであろうかと思う。
 しかし、寛文風土記の書上げにも家九七軒、竈一二四とあるように、昔は繁栄したことがあり、村北にあるてるい大明神は輝井神で、この伝承は昔京都からきた躄の女が、膝にさんだらをつけてきて倒れたのを祭ったといい、今でも藁のさんだらをあげる風習が残っているが、付近から祝部の珍しい出土品があるところから、何時頃か、厚く祭られたことがあったと思う。風土記にも藤原泰衡が一族の輝井某を祭るとある。

 2、東照山西光寺 真渡には二ヵ寺あったという。寺田という字名が


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