北会津村誌 -301/534page
一、畠作 大豆、蕎麦、菜、大根、商売而御年貢の足にす。
一、家職 縄少、草鞋大。新編会津風土記より
真渡村 端村 鈴淵
府城の西北に当り行程一町六町、家数五十五軒、東西二町二十二間、南北二町五十七問、東は鶴沼川に臨み三方田圃なり。東二 町三十間蟹川村に界う。西三町五十三間、中里村の界に至る。其村は未申に当り四町二十間余、南一町十五間、礫宮村の界に至る 其村まで三町十間余、北十一町三十四間、河沼郡坂下組塚原村の界に至る。其村は戊亥に当り二十三町五十間余。
○端村 鈴淵 本村の戊の方九町二十間余にあり。家数十九軒、東西一町四十八間、南北一町四十間、四方田圃なり。
○山川 鶴沼川 村東にあり、蟹川村の境内より来り、北に流るること十五町五十問、塚原村の境内に入る。
○水利 思ル堰、中里村の方より来り、田地に灌ぎ、村西にて二派となり、一は端村鈴淵の東を過ぎ、河沼郡牛沢組上茅津村の 方に注ぎ、牛沢組坂下組諸村の養水となり、一は鈴淵の西を過ぎ、富川村払入る。富川堰、村の東北にて鶴沼川に引き、塚原村の 方に注ぐ。樋、鈴淵の北にて思ル堰に架す。縦横十字のごとし 因て十文字樋と名く。上樋は長さ六間、幅四尺、鈴淵の東を過る ものを受て上茅津村の方に注ぎ、下樋は長八間、幅一間、鈴淵の西を過ぐるものを受て富川堰に入る。
○神社 五郎神社、境内東西十一間、南北二十八問、免除地じ村中にあり。祭神詳ならず。何れの時の草創なることを知らず。 鳥居、幣殿、拝殿あり。相殿三座、若宮八幡、本村より移せり。鈴神、称上.輝井神、同上。藤原泰衡が一族、輝井某を祀れりと 云。別当瀧本院、本山派の修験なり。宝永の頃(一七〇四〜一七一〇)善教と云者より、現住善用まで五世なりと云。
○寺院 西光寺、境内東西三十間、南北二十三間、年貢地。村中にあり。山号を東照山と云し何れの頃の開基と云うことを知ら ず。もとは真吾の道場なり。正保の頃(一六四四〜一六四七)より北青木村恵倫寺の末山曹洞宗となりしと云。本尊弥陀客殿に安ず。