北会津村誌 -309/534page
2、白山清水の用水 白山沼の灌漑を考えてみなくてはならない部落であるから、古い村はその清水に近く、 現在の村の位置より南にあったらしい。やがて白山清水下、及び現在の村南沿いから、西の現在の高津屋敷辺に かけて相当大きな湧水地帯が、大正中頃まであって、耕地整理後、現在のように開田・開畑されたのであるか ら、村の発達と共に、白山清水下の、もう一つの清水をたどって、現在の村の位置に発展してきたのかとも思わ れる。しかしこれが事実であ ったとしても古いことで、村 中に館を築いた中世以後は現 在の移置に移っている。
3、薬師堂と宝蔵院 村に は大変伝承の古い薬師堂が、 真言宗石沢山宝蔵院の西隣に ある。康保改元の年(元年− 九六四)釈久光開くとある。 実はこのことは文化六年(一 八〇九)の新編会津風土記に も書上げがあって、寛文四年 (一六六四)の盂蘭盆に子供 たちが松火を焚いた中に「康