北会津村誌 -318/534page
寄せ宮の多いのでうかがわれるが、藩の政策もあり、館・田村山・石 原辺より一、二度もの寄せ宮をしたことがある。清水の傍の境内が立 派で、古くからの来由があったからであろうと思う。
2、古墳と舘跡 田村山村の東北方の古墳は古くから壇として注意されていたらしく、寛文五年の書上げにも 一つは石原村の境をなす壇、一つは灰塚と名づけて、方六間、来由を知らずとある。文化六年の風土記になると、 石原村の入会地になっている壇を糠塚というとあり、天明中(一七八一〜一七八八)灰塚より出土品があって、 ほぼ古墳という想定がなされたと思う。その詳細は他の項で述べるが、出土品のある、小さいながら前方後円墳