北会津村誌 -339/534page
(中略)一、御鳥見壱人有、此引高拾四石三斗二升九合。
一、家職 縄、莚、田畠稼の間に仕出。文化六年風土記より
和泉村 端村、上和泉、下和泉、橋本
昔此村に清水あり。甘冽にして酒を醸すに宜し。これに因り泉村と云。後今の文字としき、府城の西北に当り行程一里二十四町 家数十軒、東西一町三十六間、南北四十二間、四方田圃にて、西に宮川あり。東七町五十間、真渡村の界に至る。其村辰に当り十 六町五十間余、西三町九間、大沼郡本組和泉新田村の界に至る。其村まで八町二十間余、南三町二間、出尻村の界に至る。其村ま で三町四十間余、北四町四十間.河沼郡牛沢組上茅津村の界に至る。共村まで五町。
○端村 上和泉、一町十間余にあり、家数十五軒、東西一町十八間、南北一町十一間、西は台村に続き一村の如く、東南北は田 圃なり。下和泉、本村より四町亥の方にあり。家数八軒、東西一町二間、南北四十四間、西は宮川に近く、三方田圃なり。橋本、 本村の西十三町四十間余、和泉新田村の境内を隔て宮川の西にあり、家数二軒、東西三十八間、南北三十四間、四方田圃なり。地 面東西一町十五間.南北一町七間、本郡の地に続かず。大沼郡の中にあり。東は和泉新田村に隣り、西南北は大沼郡木組沢田村に 界う。
○山川 宮川、村西二町四十間にあり、宮下村の界より来り、北に流るること十町余、上茅津村の界に入る。蓼川、村西二町二 十間余にあり、出尻村の界より来り、北に流るること四町余、宮川に入る。
○関梁 橋、村西二町二十間余にあり。長六間、隣村の通路、蓼川に架す、土橋なり。
○寺院 智徳寺、境内東西十五間、南北十六間、年貢地。村北四十間余にあり。開基の年代詳ならず。永正中(一五〇四〜一五 二〇)雲竜と云僧任せりと云。山号を福田山と云。曹洞宗牛沢組大徳寺の末山なり。本尊地蔵、客殿に安ず。台泉寺、境内東西十 間半、南北十間、年貢地。端村上和泉にあり。浄土宗正栄山と号す。文明二年(一四七〇)建立せしと云。開基の僧を詳にせず。