北会津村誌 -352/534page
○寺院 永福守境内東西十間、南北十三間半、年貢地。熊野官の西にあり。熊野山と号す。府下大町一源院の末山真言宗なり 開基の年代をしらず。文禄中(一五九二〜一五九五)輸円と云僧任せりと云。地蔵を本尊とし客殿に安ず。
○古蹟 館跡、村中にあり。東西十九間、南北三十三間、天正の頃(一五七三〜一五九一)葦名氏の臣荒井因幡某と云者居りし と云。今は民屋となり、土居堀の形存す。(附)
上 荒 井 村
昔は荒井村と称せしが、同様の村三あるゆえ上、中、下を加うと云。府城の西南に当り行程一里一十一町家数三十五軒、東西 二町三十間、南北一町五十間、四方田岡なり。東五町三十三間、上新井新田村の界に至る。其村まで六町五十間余、西三町金屋村 の界に至る。其村まで五町・南六町四十間、大河郡本組本郷村の界に至る。其村まで九町余、北六町二十四間、下小松村の界に至 る。其村まで八町二十間余、文中の万一町三十二間、下郷村の界に至る。其村まで四町
○原野 北松原.村北二町にあり。東西四町三十間、南北一町三十間余、松樹多し、松露、初茸を産す。南松原、村より巳午の 方三町余にあり、東西三町十間余、南北一町じかき松原、村より辰巳の方二町余にあり、東西四町二十間、南北一町四十間。槽前 河原、村南五十間にあり。東西二町二十甲南北二十間余。町屋田河原、村より成亥の方三町にあり、東西二町、南北一町。下河 原,村より未申の方六町にあり。東西六町.南北一町、本郷村の入逢の秣場なり。昔鶴沼川の流れし跡と云。
○水利 本郷堰、本郷村の方より下野、金屋両村の田畝に濯ぐ。
○神社 十二天神社、境内東西二十問、南北九間免除地じ村の戊亥の方三町十間にあり。鎮座の年代許ならず。昔は葦名氏、世 々崇敬ありて、社頭も広麗なりしとぞ。其後衰廃せしを、寛文十一年(一六七一)肥後守正之再興せり。祭礼八月二十一日、鳥居 幣殿.拝殿あり。相殿八座、伊勢宮三座、一座は金屋村より移し、二座は下野村より移せり。熊野宮、本村より移せり。八幡宮、 金屋村より移せり。山神、同上一天神、金屋村の端村西後庵より移せり。地神、西後席新田村より移せり。神職、梅宮伊賀、先祖