北会津村誌 -355/534page

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一、御子息左ヱ門殿三ヱ門殿(右脱か)も御意見を以、夫銭諸役儀御同前に御座候て、迷惑仕候。はる中も免同諸役之事も十日 におよびつめ申候へて、いろいろ御わいごと中上候へ共、少も御ゆるし無御座候。あまりに迷惑候仕。いつかたえもまかりう せ申度侯へども、御法度に御座候て、かように申上候。
御披露。

   二五、金屋村および西後庵村・西後庵新田村

 1、金屋山願行寺 濁川に旧鶴沼川が合流した複合扇状地の裾合いの氾濫地で、下部には大きな礫がるいるい として、表土の浅い、河原・湿地・荒無地・雑木林の入りまじった地域であるが、その中州を拾って、開拓が相 当古くから行なわれていたらしい。
 曹洞宗の金屋山願行寺が村北端れにあるが、慶長の頃(一五九六〜一六一四)円寿という僧が住んでいたと伝 えている。本尊は御丈四〇センチの釈迦如来で、その側にある開山僧の像とみえるが、その円寿の御姿かも知れ ない。来由はよくわからない。
 河原地で地下水が低く、村には昔、寺前に井戸 が一つあっただけといって、今にその古井戸が残 してある。当時の開拓・開村の困難さが思いやら れる。

 2、西後庵の比丘尼屋敷 村の名が、永正の頃 (一五〇四〜一五二〇)後庵と呼ぶ比丘尼が住ん

金屋の釈迦如来
金屋の釈迦如来


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