北会津村誌 -358/534page

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に至る。其村まで七町、戊亥の方七町四十一間、大島村の界に至る。其村まで十町余、丑寅の方六町三十九間、下小松村の界に至 る。其村まで十三町四十間余。
 ○小名 北新田、木村の北四町二十間余にあり。家数四軒、東西十一間、南北二十間、四方菜園なり。
 ○山川 濁川、村西一町二十間余にあり。橋爪村の境より来り、北に流るること六町五十間、新堀村の地を過ぎ、大沼郡高田組 安田村の界に入り宮川に合す。広三間。
 ○水利 宮袋堰、村より戊亥の方八町五十間余にて宮川を引き、大島村の方に注ぐ。

   二六、北後庵村および新在家村

 1、北後庵 後席というのが、既に西後席の比丘尼後庵からでている。もと金屋村につづいていたのが、分れ て移ったという。西後庵の北に当っているから北後庵村と名づけたに過ぎないらしい。文化六年の風土記に家七 軒とある。下部の礫層が厚く、表土は薄い。もとは雑木林などで蔽われ、扇頂に近い扇状地面の荒蕪地の景観を 呈していた地域と思われる。ざる田で水田化の容易でない所も多い。

 2、新在家 扇状地面の荒蕪地に新しい村づくりをしたのでこのような名ができたろうと思う。現在高田街道 が東西に走るので、交通の便はめぐまれている。
 ここにある熊野神社は本郷町の宗像出雲の掌るところと風土記にみえる。寄せ宮をしたことがあって、北後席 より稲荷や白山神を移してある。白山神は北会津村の隅々に行きわたり、清水に関聯したもののように伝えて祭 られている。

付 文化六年の風土記より


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