北会津村誌 -359/534page
北 後 庵 村
此村名も比尼丘後席がゆえにより、後庵村と云。初金屋村につづき住せしが、 何の頃にか此に移せり。金屋村の端村西後庵の北に当れるを以て、北の字を冠ら しめしと云。府城の西南に当り行程二里、家数七軒、東西一町六間、南北五十九 問、四方田圃なり。東二町五十三間、金屋村の界に至る。共村は辰巳に当り七町 五十間余、西三町三十六間、南一町共に西後庵新田村の界に至る。其村は南に当 り六町五十間余、北四十七間、新在家村の界に至る。共村は丑寅に当り二町五十 間余、又亥子の万一町五十三間、西麻生村の界に至る。其村まで八町二十間。
新 在 家 村
府城の西に当り行程二里六町、家数五軒、東西三十六間、南北二十二間、四方 田圃なり。東一町二十八間、北一町二十六間.共に下小松村の界に至る。其村は 未申に当り二町五十問、金屋村の界に至る。其村まで八町四十間余、又戌亥の万 一町五十九間、西麻生村の界に至る。其村まで七町四十間余。
○神社 熊野宮、境内東西十六間、南北十間免除地、村東一町二十間にあり、 鎮座の初詳ならず。鳥居あり。本郷村宗像出雲が司なり。相殿三座、稲荷神二座 一座は本村より移し、一座は北後庵村より移せり。白山神、北後席村より移せり。二七、古麻生村および西麻生村・麻生新田村・天満村
1、麻生の地名由来 北会津村を対角線状に放流した旧鶴沼川が、まともに流れた一筋が地形や土質、航空写