北会津村誌 -363/534page

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の方二町五十間、本郡中荒井組宮袋村の界に至る。其村まで十四町、真の万一町三十八間、本郡中荒井組東麻生村の界に至る。其 村まで六町十間余、巳の方五町四十問、新在家村の界に至る。其村まで七町四十間余、未の方四十九間、大島村の界に至るり其村 まで四町四十間余。
 ○稲村 古屋敷 本村より巳の方三町三十間余にあり、家数十二軒、東西一町四十四問、南北二十六間、四方田圃なり。
 出新田 本村の西五町三十間にあり、家数十三軒、東西一町三間、南北十一間、四方田圃なり。寛永二年(一六二五)本村及び 高田組境野村より出て開きし新田なりと云。
 ○山川 宮川、端村出新田の西一町三十間にあり。大島村の境内より来り、戊亥の方に流るること四町十間余、佐布川村の界に 入る。広二十五間、小船を設けて往来す。清水、村際処々より出集て川となり、中荒井組端村の田畝に灌ぐ。
 ○水利 宮袋堰、大島村の方より来り、田地の養水として下流宮袋村の田前に灌ぐ。
 ○神社 諏訪神社、境内東西二十二間、南北四十六間免除地、端村古屋敷の西三町計にあり。鎮座の年代詳ならずい鳥居、幣殿 あり。上荒井村梅宮伊賀が司なり。相殿一座、八幡宮、大島村より移せり。
 ○寺院 宝幢院、境内東西十三間半、南北二十三間、年貢地。端村古屋敷にあり。如意山と号す。真言宗本郡中荒井組下荒井村 蓮華寺の末山なり。開基の初詳ならず。永禄四年(一五六一)俊意と云僧中興せり。本尊大日客殿に安ず。
 ○墳墓 古塚、村南八町四十間余にあり、高一丈、周三十間余、土人上人壇と称う。
 ○褒善 平助妻つな、平助はこの村の農民安左ヱ門が子なり。安左ヱ門もと肝煎役を勤しが、不幸のことつづき、家困窮し、九 年さきに役を辞し、夫婦ともに病身となり、平助も十二、三年前より心狂いし、加るに癩病となり、平助が子も幼少なれば、つな 一人耕作のことに心を尽しけれど思うままならず。愈々困窮に及びけるが、能く舅姑に事え、夫を介抱して何事も其意に逆はず。 朝夕の膳をすすめ、秋は落穂を捨て米塩の料とし、余りあれば酒など求て飲しめけり。殊に平助がものくるわしく、近き頃は肌破 れ、膿血流出るを厭わず、手足など冷るときけば、自ら煖めけり、安左ヱ門も見るに忍びず、平助はとても悪疾に染ぬれば、医薬


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