北会津村誌 -367/534page

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 〇神社 伊勢宮、境内東西十三間、南北一町、免除地。村東にあり、鎮座の年代をしらず。鳥居あり、本郷村宗像出雲が司なり 相殿十一座、稲荷神四座、一座は本村より移し、一座は上米塚村の端村出新田より移し、一座は上米塚村の端村出新田より移し、 二座は上米塚村より移せり。明神二座、一座は下米塚村より移し、一座は下米塚村の端村出新田より移せり。伊勢宮、下米塚村よ り移せり。腰王神、同上。八幡宮、上米塚村より移せり。熊野宮、同上。湯殿神、同上。
 ○寺院 円城寺、境内東西十二間、南北十八間、年貢地。村中にあり、松林山と号す。開基詳ならず、旧は真言宗なり。寛永三 年(一六二六)観誉と云僧任してより、府下大町融通寺の末山浄土宗となり、本尊弥陀客殿に安ず。
 ○褒善 孝行者杢之丞・文化二年(一八〇五)米を与えて賞せり。

  二九、下米塚村および下米塚新田村

1、村の開発と観音寺由来 大川に沿う洪水常習地であるため、天文五年(一五三六)六月二十八日の白鬚水 の洪水の話が今に伝えられ、大川はその時出来たともいっている。応永二十六年(一四一九)黒河川決潰のこと が既にみえているから、現在の大川の流路はもっと前にできていたものであろう。
 二日町の白山神社はもと下米塚にあり、洪水で流されて現在の地に落着いた。社殿が南向きになっているのは そのためであるとさえいっている人がある。少しこじっけが過ぎるようにもみえる。
村の中央に観音堂がある。御丈三五センチの聖観音が祭られている。その傍に現在公民館になっているのが、 古聖山観音寺である。天正中(一五七三〜一五九一)黙蔵王という僧が草創し、堂宇が荒廃したので、寛永元年 (一六二四)長賢という比丘が中興したと、文化六年の風土記にみえる。現在のは元禄二年(一六九二)に建て かえたもの、観音堂は元禄十年(一六九七)に建てかえたと伝えている。村があまり古くないのか、大川筋の氾


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