北会津村誌 -371/534page
(裏面)
大正元年十月御即位紀念として諏訪八幡二柱乃大神を合両し奉り麻島神社と改称し大正四年十月指令せられ本村氏子中に於て基 本金を積立て大正五年二月指定神社に認可せられたり2、大島新田の開発 俗に出新田と呼んでいるが、寛永五年(一六二八)加藤嘉明時代の新田開発である。文 化六年の風土記にも家数三軒とあるが、現在もその三戸を保っている。濁川と宮川の合流した右岸にあり、これ 以上の耕地を増加して、分家を増すほどの広さのない袋地になっているためであろう。
付 文化六年の風土記より
大島村 端村 出所田
府城の西に当り行程二里、家数十八軒、東西五十四間、南北一町十六間、四方田圃なり。東二十四間、南一町二間、北二町五十 八間、共に西麻生村の界に至る。其村は丑に当り、四町四十間余、西三町、大沼郡高田組安田村に界い、宮川を限とす。其村まで 七町三十間余、又辰巳の万一町二間、北後席村の界に至る。其村まで五町十間。
○端村 出新田、本村の戊の方三町十間余にあり、家数三軒、東西十三町、南北十六間、四方田圃なり。寛永五年(一六二八) に開きき。
○山川 濁川、村西三十間余にあり、西後庵新田村の方より来り、北に流るること四町廿間、宮川に合す。宮川、端村出新田の 西南一町にあり。安田村の境内より来り、濁川此に合し、北に流るること四町、西麻生村の界に入る。
○関梁 橋、村西三町余、安田村の通路宮川に発す。長十一間土橋なり。
○水利 宮袋堰、西後庵新田村の方より来り、田地の養水とし、西麻生村の方に注ぐ。