北会津村誌 -376/534page
徳元年(一三二九)葦名盛宗の臣富田将監と伝えるから、それよりやや 後れて、時代的には無理はなく、やはり葦名の臣であったかと思う。禄 高五千石ともいうが、これは下荒井の富田と同禄である。
その後平田総右ヱ門が 住んだとあるが、これは 村北の館で、禄は八八五 石九斗二升七合であった とも伝えている。天正の 頃(一五七三〜一五九一) になって松本源兵ヱが、 やはり五千石で住んだと あるが、禄高などからみ て、やはり村中の小松弾 正の住んだ館かと思われ る。村西の館は風土記に佐々木鴨之助某が住み、鴨之助館といっ たとあるが、時代はわからない。
村中に五輪があり、小松殿の墓といっているとあるが、銘もな くこれを明確にすることはできない。