北会津村誌 -377/534page

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 しかし、感応神社の縁起などは、それをさかのぼるし、端村の四つ壇は昔は八つの壇があって、八つ壇と呼び 後に四つになって四つ壇と呼ぶようになったとある。壇に松の古木があったと風土記にみえる。この四つ壇の由 来については後述するが、ここには枕石またはぬすびと石の伝説があって、もう一つの小松・上荒井間のうばこ 屋敷の鬼ばばの石の枕伝説と混じているようであるが、その石というのが発 掘されて、四つ壇の成田喜四郎の庭に置いてある。長さ一メートル六〇、幅 五〇センチ、厚さ二四センチほどで、八つ壇なり、四つ壇を全部古頃と推定 することは容易でないが、このぬすびと石は石英粗面岩で石廓の一部か、そ の棺蓋ではないかと思われる。四つ壇の一基の改装されたというのが金田幸 平宅の東北の隅に稲荷の小祠を祭って残っている。風土記の老松があったと いうのに思いあわせて、単なる河原地の開拓の石くらではなかったようにみ える。
 葦名の臣が館を築くとしても、既に相当開拓がすすみ、多くの住民がいな ければならないわけであるし、既に古墳時代よりこの付近の中州には人々が 住みついていたではなかろうか。下小松の起りを室町の築城を遥かにさかの ぼって考えることに、無理がないように思う。

 2、感応神社と常徳寺の縁起 現在学校裏に稲荷神社と双殿にしてある多 賀神社は、つい先の昭和四十年十一月十四日、今度の圃場整備事業のため、総 計費八〇万円をもって移転・新築、遷座式を行なったばかりのものである。

四つ壇の枕石(ぬすびと石)
四つ壇の枕石(ぬすびと石)


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