北会津村誌 -382/534page
もある。おしんめいさま等の信仰については民俗の項でまとめて詳述する。
4、川舟のこと 常徳寺本堂南の軒下に長さ一一.五二メートル、底幅一.一三メートル、深さ中央で四八セ ンチの川舟が保存されている。これは明治三十五年の大暴風で多賀神社の老杉が倒れた時、古い舟を解体して新 造したものである。
現在は三本松に見事な高田橋が架せられ、阿賀川の河川改修も進ん で、昔のような洪水の被害は思いやれないが、一度洪水に見舞われ、 舟橋が流失し、部落が濁流に囲まれると、頼るものは舟で、そのため の準備がされていた。舟橋が流失して、小松よりこの舟を村人が河岸 までかついでゆくことは、容易でなかったと語られている。
5、村の発達 古い記録もないので、館や寺院の輪廓を知るだけで 部落の内部のことはよくわからない。しかし四つ壇も松野も旧下小松 村の端村であったし、現在高田橋麓の三本松も、舟橋時代は単なる数 戸の下小松の渡し場に過ぎなかった。それは門田村より編入され、独 立した、交通の要路としての村をなしている。旧下荒井村などと同じ く、昔の下小松は大川べりまで及ぶ、古館村ともよんだ南部での大村 であったが、現在は四つ壇のみを含めた小松部落となっている。文化 六年(一八〇九)の風土記記載の戸数が下小松四七軒、四つ壇八軒と ある。現在四つ壇を含めて九五戸であるから、明治後の旧川南村の中