北会津村誌 -389/534page

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下荒井の街村地割見取図
        (明治9年調写)
    縮 尺 不 明
  1.図形の大小は地積を表わしていない。
  2.家数63軒
  3.東西4町,南北41間
  4.本町東西31間 南北1町37間
下荒井の街村地割見取図(明治9年調写)

て発達しているものが多い。これが村の概念であり本態であるかも知 れない。

 2、縁族集団 五軒とか七軒などと、開村の頃をいい伝えている村 は多い。家の盛衰は相当激しいものであるが、家族が増せば分家を出 す。ここでは村の社会生活に加わる分家を拾って、本家との関係がど んなにつづいてくるかをみようと思う。もう一つ、村親類などといっ て、村内同志で嫁、婿をやりとりした、婚姻関係による縁族があるが 岩手県北部の村などにゆくと、本家と分家の婚姻関係なども相当目立 つが、北会津村は、会津藩がそうであったように、封建制が相当強く 家格を重んじ、本家は本家同志といったような婚姻関係が底にひそん でいて、村内同志の結婚、即ち、奥会津の山村などには、まだ相当強 く残っている部落婚の様式は、早く姿を消しているようにみえる。こ の婚姻による場合は、一、二代のほんの初期には、血縁関係が強く、 家と家との関係も密接で、相互援助、手間の貸し借りなども繁く行な われているが、もともと結婚は、家格・資産ともに、つりあうような 間柄で行なわれることが多いから、血が三代、四代と遠のくにつれて 急激に縁族集団としての結合力が薄れてくる。

 これに対して、本家・分家の関係は、冠婚葬祭などには、現在血縁


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