北会津村誌 -393/534page
くは生活体からみた村と呼んだわけであるが、明治 初年の町村制施行にからんで、その中間に、幾つか の古くからの村をあわせて大字をつくった。例え ば中荒井・二日町・東麻生を併せて伊和保といった 類である。ここに一人の区長を置こうとしたが、こ の多くは図上の区分で、選挙区や、供出米の割当てな どに用いられ、いくらか、古くからの伝統性はもっ ていたようであるが、やはり、地縁的にまとまりの ある古くからの村、現在、町村制の政治体の村と区 別するため部落などとも呼んでいるが、その方が、 実生活単位として強いので、そこに一人の区長、幾 人かの部落役員が立っているようになっている。こ の区長も、戸主会などの選挙による場合は、公選に よる自治体のようにみえるが、法的に認めた政治単 位ではなく、むしろ実体的のものである。しかしこ の実体を黙殺しては町村制は成り立たないので、区 長を一時半官、半民的な駐在員などという名で呼ん だこともある。特に会津盆地は部落の構造が集村と