北会津村誌 -394/534page
か塊村という類で、一〇数戸或は数一〇戸がまとまって村造りをしているので、この部落生活の集団意識といお うか、単位意識は相当強い。或は「部落根性」などといって強過ぎて困ることさえある。
しかし、もしこの部落が数一〇戸よりなる場合は、これでは最下部の村落社会生活単位としては大き過ぎる場 合があって、さらに、これを地縁的な組に分けて、実生活をしているわけである。そして経済的の農事実行組合 その他も、この組を単位に構成しようとしている部落があるほどである。
村の発生なり、発達に、族縁集団的意識があまり流れていないか、最初よりなかった場合は、この地縁的な部 落が、村落社会構成の単位になるわけで、封建性意識の崩れかたの早かった関西地方では、この地縁的なものを 基盤として生活しているものが多いようである。
三、村の社会生活
1、村役人とその組織 各部落の長は区長と呼んでいる。昔の世襲の肝煎と呼んだものであるが、勿論世襲で はなく、戸主の会議、これを寄り合い、春会議などといっているが、多くはこの春寄り合いなどで選出される。 投票を用いることは稀で、多くは話合いできまる。副区長に相当するのを区長代理という。その相談役に数人 の村総代と呼ぶ役員がたって、村役場よりの依託事務、その最も大きなものが納税事務で、戦事中には割当てと か、配給事務なども行なっていた。しかしその主な仕事は部落の社会生活を営む長、責任者ということで、道普 請などの村人足、堰あげ、掘さらい、近年は消毒なども共同で行なう。四周堤防に包まれているので、洪水の 災害防禦は勿論、たとえこの構築が官、公営事業であろうと、人足などは地元で、その多くを引受ける場合があ るので、その割当て、精算などまで行なう。この下部の組には組長をおく場合が多い。村人足、特に村休みなど