北会津村誌 -395/534page
に関する事務、割当てなどの一部、或は大半を、全く別個の部落青年会、昔の若者組とか若達中と呼んだ組織に まかせている部落もある。村休みなどは、一応区長の裁決権のようにみえるが、実際は慣行的に青年会長とか、 青年会の役員の手に握られて、単なる認定を与えるという程度にもなっている部落がある。村祭りなども同様で 特に終戦後は部落としての主祭が弱まり、青年会も旗立てとか、宵祭りの踊りをたてるなどのことも少なくなっ て、部落主催行事としては、一時薄れてみえたことさえある。
区長の伝達事項を各戸に触れ歩くのに、こぱしり役などを依託している部落も多い。
2、村の精算、共有財産など 村人足の多くは義務的なもので、金銭に よる代納は認めないのが本態のようであったが、近頃の社会として、これ も多くは、代人、金銭精算も行なわれている部落が多い。区長の報酬は或 る程度名誉職で、低過ぎる場合が多い。それでも駐在員制度が認められた りして、町村役場より、幾らかの報酬が支出されるが、他の部落総代にい たっては、慣習的にそれのない場合が多い。その会合の飲食費なり、事務 費、その他部落の諸経費を精算することが「暮割り」などの名で、暮割り 会議で各部落が行なっている。これは公けの納税ではなく、部落に主に農 業を営んで生活していくための諸経費の精算である。
つぎに北会津村は中州の開墾による開発が主であるから、谷地・河原な どの荒蕪地が多かった。これを部落共同で開墾して、部落共有地などで確 保してき、時にはその耕作を青年会や、特定の家に受負わせていたなどの