北会津村誌 -396/534page
例がみられた。耕地整理が行なわれ、幾度も町村合併があり、終戦後の農地開放、さらに近年の大規模な構造改 善などのために、神社・寺院などの所有地開放なども行なわれて、現在では、あまりとりあげるほどのものが見 当らなくなったが、いくらか慣行的に維持しているものがあるので、書き添えておきたい。
3、村組織と信仰 村当局からくる下部の政治組織として系統をもつのは、村役人ともいうべき、区長を中心 とするものであるが、それと表裏一体ともいうべき、農業生産を主とする農事実行組合がある。これも、組織の 下部まで、班という名称でいっており、上層は協同組合との連繋がある。
このような政治の主流をなすほかに、部落の社会生活を営んでいく上には、いろいろの組織が重なりあってい ることを知らなければならない。青年会の組織もそうであるが、これより若い、子供組なども、名称は、西麻生 などで天神講子供の部などといって、明治三十二年頃からの記録があり、現在も天神講組合などでつづいてい る。現在婦人会などといっているものにも、観音講、或は会津三十三番札所観音巡礼の同行者講などが、母体と なっているものがある。行なっていることは、日時を定めて、食べ物なり、会費を持ちよって共同飲食すること で、単に出し合い請、餅講などといって、春は二月八日、秋は十一月八日に行ない、これをまた八日講などとも いっている村が多い。これはまた講の項で詳述するが、大要を加えておく。
これらが単なる懇親会的、慰労組織でないことは、講という名でも呼ばれるように、子供なら高田の文珠様と か猪苗代湖畔の天神様を信仰するので、文珠講、天神講などといい、若達中も、単なる八日講だけでなく奥三山 を信仰し、又同行者の奥参り講、羽黒講、月山講、湯殿山講といってみたり、女が観音講などといっているので もわかる。
西麻生の天神講などの記録をみると、毎年一冊づつつくっていたものか、今残っている最も古いもので明治三