北会津村誌 -400/534page
秋の豆はたき(41.11.4)風景
(じばん、さらっぱかま、あみがさの農婦仕度)これに類するものには、もんぺとももひきがあるが、ここでは もんぺは野良袴ではなくて、ふだん着の時着ける場合が多い。も もひきは、奥会津の山村などにゆくと、山仕事の労働着としてつ ける場合があるが、この地方では、道中袴か、冬の寒い時の下袴 として用い、労働着専用ではない。これに類するものにふんごみ たっつけなどがあったが、現在はよほどの老人でも、もう忘れか けているようである。やや作り方が違ったふんごみは、もんぺよ りだぶだぶして、冬の綿入れの長着物などを着た場合にはく。た っつけは、膝上はだぶついているが、膝下はさらっぱかまのよう に細くできている。やはり昔の野良袴か、道中袴に用いたもので ある。
今では、女は子供から、パンツやズロースを着けない者はない といってよいほどになっている。これは実に近年のことで、大正 の半ば過ぎ、高等女学校などに洋服が普及してきた時、同時に外 国からはいってきたものである。それまでは、女は腰巻きが、腰下の下着で、それを半分に折って、さらっぱか まをつけていた。しかし、女の、今では外国語で呼ぶ肌袴類は、全く急に外国からはいってきたものには違いな いが、さらに古くは、日本の女も肌袴として、これに類するものを着けていた証跡がある。老姿などに聞くと、 夏、会津めぐりなどに出る時は、裾をたくり、膝下にちゃはん、わらじを着けたので、肌袴として、ももひきの