北会津村誌 -401/534page
軒下の秋の風景(ほしがき、しなかわ、さらっぱかま
じばん、たきぎなどが並ぶ)(41・12・27)膝上で切ったような、こばかまをはいたといっている人がある。 これをつけて、さらにさらっぱかまをはくと、二重の袴になって 用便に困るから、下袴の方が脱落して、丁度その忘れかけた頃、 外国から、都会生活を通して、パンツ、ズロース類が普及してき たもののようである。
さらっぱかまは、猿袴などとも書いて、猿の姿に似ているから 呼んだようにも伝えているし、さるのさは狭の字が当てられて、 さばかまといっている地方もあるから、或は後者の細身のはかま の意から出ているかと思う。これはもんぺが紋平などと書いて、 紋平という人がはき始め、それが山形の人のようにいう人さえあ るが、もっぴい、もっぺ、もんぺいなどという地方もあって、も もひきから変化してきたもののように思われるのと似ている。決 してこの地方の特異なものではないが、福島県下でさえ、中通り 浜通り地方では殆ど見受けない野良袴であるから、注意してみる 必要はある。
つぎに、やはり中通り浜通り地方に見受けないで、会津の農婦の特異なかぶりもののようにみられるものに、 ふたはば手拭、或は二筋手拭というのがある。会津盆地の婦人の野良の冠り物として、このように普及したのは 決して古いことではなく、明治初年山形県の方より北方即ち盆地の北部方面から普及してきたものであるなどと