北会津村誌 -404/534page

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 この木綿以前の織物の材料は麻であった。かたびら、かみしも、かやの類がそうであるが、会津地方では、多 くは山村か山寄りの部落でその栽培、糸うみが行なわれていた。北会津村では、明治以後、どこの村や、家でも 行なっていたというほどではなかったようである。この前はあかそや、しな皮の類であったかと思うが、殆どそ の痕跡もとどめていない。

 染料に、くるみの皮、或はくるみの根の皮、また柿渋などを用いることも、大正の初めまでは、ぽつぽつ見受 けられた。これらは主に茶系統であった。藍染めも、大川下流の会津坂下町青木辺では行なわれ、ここでは地機 織りを、営業としても行ない、現在二戸ほど、その名残りを止めているのは珍しい。北会津村で藍を栽培したこ とは、まだ聞かない。ただ文化六年(一八〇七)の書き上げ帳をみると、紅花を栽培したことが記されている。 これは北会津村は勿論、会津地方には全く痕跡をなくしたものであるが、秋田・山形辺にはまだちょっと名残り がみられ、くちべに、赤色の染料に用いている。

 勿論早くドイツ辺より化学染料も日本に輸入されてはいたが、大正初期の第一次世界大戦により、染料輸入が 全く絶えて、日本で研究された化学染料が市販されるようになった頃より、これらの草根による染め方は、農村 などからは全く姿を消した観がある。

  二、食物・食習

 1、晴れの食とふだんの食 衣服などと同じく食物にも晴れのものとふだんの食の別がある。晴れの食は主に 年とりか、正月などの節目に、家族あらたまってするもので、出征中の家族などがあれば勿論、旅か、学校・出 稼ぎなどで留守になっている者には、蔭膳を据えるなどして食べるものである。汁、これは常の食物、毎日、ふ


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