北会津村誌 -405/534page

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だんに食べている物であまり珍しいものはなく、季節にできたものを、おかずとして、ごはんは昔は多くかてを 入れて食べた。大根や、大根の干し葉などが普通のかてで、芋類、特に里芋なども、御馳走のようにも見えるこ とがあるが、多くは、かての意味で、炊きこんで食べていたようである。麦類は必ずしも、かてというほどでな く、当然の毎日の食習として用いていた家が多かったようである。このかての激減、或は皆無が、近年の顕著な ふだんの食事の変化のようにみえる。

 晴れの食は、ものび、或は節目の食で、婚礼とか葬式の際も、勿論改まった晴れの食には違いなく、一つの様 式がある。しかしこれは客をもてなすための御馳走の食事で、ここでいう晴れの食の特殊なものとなる。

 年とりの晩には家族だけの食事であるが、一同揃って、改まって食事をする。北会津村の多くの家では餅や、 年越しそばなどは食べないで、白いまんま、即ちかてのはいらない白米を炊いた食事、これにもとはべにざけを あかさかななどといって、必ず食べるものとしていた。

 正月三ヵ日なども、晴れの食で、おひらといって、にんじん、ごぼう、さといも、しみどうふ、こんにゃく、 こんぶ、だいこんなどを煮しめものに、それに何か魚類の頭づき、蓋づき椀の吸い物などつけるのが一般である。

 この晴れの食事では、このような改まった食物を揃えると共に、必ずこれを、家族が箸をつける前に神棚や仏 壇に供えることに、意味があった。神に供え、それと同じ物を、家族全部分けて食べる所に、神に通じるとか、 あやかる、という意味が含まれていることである。そのためには特に新しい箸を用いたり、実際は食べれない赤 ん坊の分も膳に供える家などがある。

 2、しとぎと餅 しとぎという言葉は現在の人々は殆ど忘れてしまっている。しかし文化六年の新編会津風土 記などには粢という文字を当てているのが、神社などの供え物に見えるから、つい失われても間もないもので、


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