北会津村誌 -406/534page
南会津郡の檜枝岐村、その他から、おしとげなどの名で、今でも聞けないことはない。宮城県北部から岩手県に かけては現在も用いられている。これを一歩分解してみると、しとは水の意味で赤飯をふかす時、うき水をしと をうつという言葉で覚えている古老は、まだある。そしてしとねるとは、団子などをつくる時、粉に水を入れて ねることであり、現在もその言葉を用いている人がある。米をうるかして、搗いて団子のようにして、生のまま 人も食べ、これを神に供えたもので、岩手県の北半などには、現在もこの風が残っている。古く人間が生米を食 べた食習の名残りのようでもあり、米かみなどの名でも残り、現在の人々は生で食べるなど思いもよらないよう であるが、神に供えるものだけは、古風を固持しようとする風があるようにみえる。
団子はこのしとぎに代って、もの日、特にお盆や法事などの仏事系統に供えるようになったが、しとぎとちが うのは、最初より、石臼などでひいて粉をつくっておいたものを、しとでねって、煮るという過程を経ることで ある。この粉をつくることを、はたくなどともいい、この地方ではあまり聞かないが、団子、すいとんの類を、 はたきものなどともいっている地方さえある。この穀粒を粉にはたく技術が現在のように進歩し、機械化してか らは、穀粒をうるかして、搗くこともなくなったわけである。
現在晴れの日には必ずつくるといってもよいものは.餅である。餅はまるめて形を整えるところにも意味がある らしく、これを重ねて神棚の供え餅にする風は、全国にひろく行なわれている。正月の供え餅は、九日の餅は苦 に通じるとかで忌んで、多くは十二月二十八日に搗いてまるめておく。
この正月の重ね餅を山形県下で、ふくでといっている地方があるが、貞享二年(一六八五)の中荒井組風俗帳 にはみえない。確かに会津地方でも、そういっていたのを聞いたことがあるが、北会津村の古老で知っている人 があるかどうか。