北会津村誌 -409/534page

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くつ炊くということで、嫁や娘たちに指示するのが、主婦の役目であった。この慣習はまだ残っている家があ る。つい先頃まで、これにたくさんのかてがはいっていたことは勿論である。

 電気釜などもはいってきたから、もうそろそろ失われようとしているが、炊けた具合をみるのに、蓋にへらで よそって、吟味していた、丁寧な家風のところもあった。そして、食事の時は、明治末まで箱膳を見受けること も珍しくなかった。爺さん、婆さんなどは、茶ぶたい、飯台などで食事をするようになっても、箱膳をつづけて いるのがあった。

 飯釜、これも昔は鍋で炊いていたが、これからよそって、家族に分配する仕事はまた主婦の大切な役目であっ た。これを主婦権とか、へら権などと、民俗学などではいっているくらいである。主人が世話譲りをして間もな い頃、主婦権も嫁に渡すが、これをへら渡しなどともいっていたようである。主婦の座席もきまっていて、まず 中とりのかてのまじらないところを、蓋にとって、釜神様に供えるなどといって、特に手をあわせるようなこと もしなかったが、供えるように側におく。仏壇や神棚に供えるべき時は、おぶきに盛って子供たちに供えさせ る。それより主人・長男などから、わけ始めるが、娘や、叔父・叔母・奉公人などになると、かてが多くなった り、あげたごはんといって、先の冷えた飯を炊き上りにのせて温めたものをよそるようになる。このへらかげん が、主婦権なのかと思われるほどである。「奉公人三杯飯をそっと出し」などともいわれるほど、飯を存分に食 べることを遠慮しようとする風がみえた。これは封建時代からの、食に窮した、つましやかな農民生活の伝統が 尾をひいているようにみえる。

 おかずに、なっとう味噌とか、ひしょなどという、なっとうを寒中に、麹の塩づけにしておいたようなもの、 或は味噌が主食と思われるほどに豆味噌、油味噌、しそ味噌などと、味をつけて、いつも食卓に供えられている


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