北会津村誌 -412/534page
いるものはある。多くは、各部落に一、二戸残る肝煎屋敷、俗におやかっちあまなどと呼んでいた屋敷で、館堀 といった堀を屋敷周囲にめぐらしたのが多かった。今は北会津村の区域よりはずれたが、村の発達としては密接 な関係のある旧橋爪組上荒井村の館跡には、現在田圃になっているが、周囲に見事な館堀と土堤の跡が残ってい る。明治末から大正時代にかけて、村中の道路改修などで、現在は館堀の多くは埋められている。
この屋敷にもう一つ目立つ のは俗に築山・泉水などの築 造されていることである。武 家屋敷の模倣にちがいないが 会津藩の庭園様式でとり入れ ていた小堀遠州流などによる ものが多いようである。
会津地方は冬の西北の卓越 風が強く、特に雪深い地方で あるから、集村で村中の家は いくらか薄いようであるが、 西と、北側に屋敷木を植えて 冬はこれに細木を結びつけ、 葦や萱をたてて、風やらい、