北会津村誌 -419/534page

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右うまや、左ざしきなどという別はあるが、ざしきとかって、にわの三つに大きく区分されて、それをさらに細 分化するというようになっている。にわとかっては、土間であった家もあったが、まずかってに床がはいり、現 在はにわも、全部か半分は床の上っている家が多くなっている。

 ざしきは一間か、北裏を納戸といって主人夫婦の寝部屋にし、表と裏を区切っているもの、これをさらに複雑 にして、殆ど不均等な畳割の田形、四部屋に分けているのがある。その場合、奥の北裏が奥座敷、前の納戸表 を中の間などといっている。奥座敷北裏には縁のついている場合が多く、肝煎の役宅などでは、奥座敷の床の裏 に、かみせっちんとか、風呂場などをつけていたのもあった。明治以後の改装の際、その多くは取り除かれ、物 置きなどに転用されているのがみえる。

 かっては、おまえともいっている。分家に対して本家もおまえというから、表の座という意味で、普通の来客 を接待する、母屋の中心の間である。多くは一〇数畳の大広間で、その中央、にわ寄りに炉があるのを普通とし た。このかってまで土間であり、炉があさ炉であった家もあり、納戸を、このかっての奥に出張って設けている のさえあった。仏壇も多くは、このかってにあり、炉の上へりに沿うて畳一段の厚さだけ、にわ寄りを低くし、 そこに中じきりをしている家が多い。めくらじきりなどとも呼んでいる。その場合低い方は板敷きで、むしろや ござなど敷いておく家が多かった。

 明治末頃から、大正初期にかけて、このかってに改装を行なったのが目立つようになった。恐らく実用化と個 室の細分化を、冬の保温や、接客などから工夫した間取りの変化であると思われる。まず表の座と裏の座の間に 新に中じきりを置いて、ここに戸・障子をたて、裏を台所につづく板の間、家族のより集る炉、子供の冬の暖を とるこたつなどの薄暗い部屋に仕切ったことである。多くは北側に出格子などがあり、冬の雪囲いなどした場合


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