北会津村誌 -421/534page

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てに、長火鉢などをおいて、新な座を設けている家もできた。

 にわには、にわべやと呼ぶ、若夫婦や、奉公人などを寝起きさせる部屋があった。三畳か四畳ほどの小暗い小 部屋で、現在も若夫婦の住いに用いているのがある。これを座敷の方に移した家では、味噌などをおく物置きに している。

 にわべやの隣に、いなべやと呼んでいる部屋が、戸障子で仕切りもしないまま、その呼び名の意味をわからな いで用いている家がある。勿論稲部屋で、せんばごきて、冬季間中稲こきをしていた頃の、稲の置き場所であっ たが、稲こきの機械化に並んで、脱穀調整まで機械化された現在では、いなべやなどの意味が不明になるのも当 然かも知れない。

 このいなべやは、相当期間、藁細工部屋、即ち、かますや、むしろなどの織物場にされていたこともある。こ れも機械化されて、別棟の小屋に移され、現在部屋の形を残すものは、農具部屋か、単に物置きなどにしておく のが多い。

 つぎに大きく変りはじめているのは馬小屋である。一時は牛小屋に代用され始めたこともあるが、終戦後、特 に農馬の必要がなくなり、牛も役牛でなくなってからは、別棟の畜舎に移され、この馬小屋、馬のかいぼを入れ たふね、桶などを、まだそのまま放置して、どう改装、利用すればよいかに迷っている姿さえみえる。若い人 が、積極的に住いの改装を始めた家では、既にそれらの部屋の形を失っているのも多い。

 とんぼは、戸の外の土間の意味であろうと思うが、その側に小便所があり、並んで風呂場、さらに馬小屋前の 隅には藁仕事を盛んに行なった時代の藁打ち石などが置かれてあった。その石も、はんじ物のように置去られる か、全く取り片附けられているのが多い。


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