北会津村誌 -422/534page

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 小便所と風呂場は、蒔肥しなどの薄味の肥料として、相当貴重に扱われたこともあったが、もう既に化学肥料 に圧せられ、現代生活から、この開放的な小便所・風呂場を密室にするような改装が、逐次進んでいるのが、現 状というところであろう。

 第三章 生 業

  一、稲作り

 1、豊年予祝 今和泉の老婆が、小正月に雪の上で、田植の物真似をしていることを聞いて、もう殆ど会津地 方には失われているかと思った、豊年予祝の祈りに近い行事が、現在も行なわれていることを知ったのは嬉しか った。正月の田植踊りの舞込みなども、明治初年頃までははやっていたが、今は佐布川村の青年が、高田伊佐須 美神社のお田植祭に奉納する神事のような早乙女踊が残っているのみとなった。

 2、種浸し たないけという名は残っているが、もう意味を忘れている人も多い。各戸にあるとは限らないの で、近所の数軒がたないけ組のようなものをつくって、池の泥をあげ、小叺、或はたねがますに種籾を入れて何 日かひたして発芽を早めた。これを小川できれいに洗って、ぬるい湯にひたして温め、積みあげて藁で蔽うて発 芽を促したことなど、つい大正の初期まで行なっていて、古老はよく覚えている。

 3、苗代つくりと種まき 他方、早めに苗代の上に土をふって雪をけし、苗代造りを始める。早春の霜をおく ような朝、村人はいっせいに種まきをするが、苗見竹を中央に立てて、ばら蒔きと、短冊苗代などの別があっ


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