北会津村誌 -425/534page

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除草機の発達、一台付きより二台つきへ 田村山にて
除草機の発達、一台付きより二台つきへ 田村山にて

地方ではさなぶりといっているが、ここでのさなぶりは高田伊佐須美神社 のお田植祭をさなぶり、その翌日をこさなぶりといっている。さは田の神 で、田植を無事終ってお帰りになるという意らしいことは、民俗学の発達 により、各地の資料を対比して、ほぼ定説になっている。

 7、田の草とり もとは素手で掻きとっていたが、やや固い田圃にはが ん爪という、掻き取る道具ができた。つぎはころばしの発明である。これ にも種々な改良が加えられて今に至 っている。除草薬などの発明が、こ の難渋な田の草取りの労働から農民 を解放しょうとしている。そして農 薬に傷めつけられて、魚類などが小 堀から姿を消し始めているのも、一 つの近代農業の異変からきている。

 8、稲刈り 刈取る鎌にも変化があり、鋸鎌などになったのは後のこと である。乾燥の方法にも変化がある。この地方では三ば立てといって、刈 ったら穂を上にして、三ばを組合せて立て、乾けば、今度は穂を内側にし てほんににかけるのが、現在も殆ど行なっている慣行である。穂を下にし たり、何ばも組合せる地方が、福島県の中通り地方などにもあり、決して

田村山付近のさんばだてとほんに(41.10.16写す)
田村山付近のさんばだてとほんに(41.10.16写す)


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